私達の富士丸(チャーター船) 客船が二隻も寄港
ウラジオストックでは偶然、客船「飛鳥」と重なりました。台風の影響で、私たちの船は半日遅れで横浜を出港しました。それでも大揺れの中船長さんが頑張って最初の寄港地八戸に予定通り入りました、けれども同じ頃横浜港を出港する予定だった飛鳥は一日遅れで出港、八戸は抜港(予定の寄港地に台風などで入れず、次の港に向う事)し、私たちが釧路・カムチャッカ・サハリンと入港している間、多分どこかに寄港し、やっとここで私たちの船とあったのでしょう。この港に日本の客船が二隻も停泊する事は珍しいと見え、ニュースにもなっていたようです。
ここでは、軍事ジャーナリストの前田哲男さんやルポライターの鎌田慧さん、アイヌ文化伝承や世界各地の先住民との交流を広めている計良光範さんの大先生方三人と楽しい一日を過ごしました。ただ後半チャーターしたタクシーの運転手との通じないロシア語の会話と、私が彼のベルトに銃が差してあるのを発見した時からそれはハラハラドキドキの旅となりましたが、またもや美味しいお酒とサーモンやイクラも堪能しました。この旅で、すっかりウォッカのファンにもなりました。いえ、なにより三人の先輩方には感謝です。だってこんなすごい先生方と、ウラジオストックの街を歩ける、そして海岸でサーモンをつまみにウォッカを一緒に飲めるなんて、そんな噺家、他にいませんですよ。すごーく幸せでした。
釜山では在韓国被爆者の暮らす施設に
子供の頃、広島や長崎で原爆に遭い、その後韓に帰国した方々は、日本に住んでいないという理由で長い事補償を受けられませんでした。やっと被爆者手帳をもらえるようになっても、もらうための手続きや診察に行くお金は自費負担、決して恵まれた環境では無い方々が自費で日本に通えるわけがありません。やっと最近少し手当てが出るようにはなったものの、高齢化が進み皆さん大変な生活をしていらっしゃるのです。
そんな方々が暮らす施設に伺いお話を聴く、と言うツアーに参加しました。一緒に絵を描いたりお菓子を食べたアボジ(韓国語でおじいさんの事)が、最初ははにかんで口も利いてくれなかったのに別れる時には私を離さず、しまいにはお小遣いまで下さいました。船内で寄付を集めて届けに行った私たちグループの中で、逆にお小遣いを貰ってしまった私は前代未聞の歴史を作ってしまったのでした。芸人の悲しい性でしょうか、でも断ったんですよ、本当に…。
環境・平和・人権の三つのテーマで
帰国してからすぐに青森、長崎、九州、四国、仙台、愛知、北海道もちろん東京と、平和や人権に関する講演で各地の九条の会などにお呼びいただくようになりました。人権・平和のテーマでは曹洞宗の雲水さんへの講演のため神奈川の総持寺や永平寺まで行かせてもらいました。これだけ、世の中の人達が平和のために立ち上がろうとしているのだなあ、いえ、これだけ世の中は危ないところに来ているのだなあとも考えさせられる今日この頃です。
函館少年刑務所にも行きました。そして十月下席の鈴本演芸場夜席の主任(トリ)を終え、十一月は五十九回北回り地球一週クルーズに参加しました。
11月1日よりピースボートにバルセロナから乗船
バルセロナ到着、ホテルで一泊した後、午前十一時に、寄港しているピースボートに合流。乗船した私を担当のスタッフたちが迎えてくれました。そして、高橋さんと言うスタッフがバルセロナを案内しましょうかと提案してくれました。彼は中東・アジア各国の内戦事情にも詳しく本まで出しているベテランスタッフですが、大学時代落語研究会だった事もあり、何かと私のことを気に掛けてくれる素敵な青年、何回か船でも一緒させていただいていて長い付き合いですが、デートは初めてなので、喜んでご好意に甘えました。バルセロナと言えばサグラダファミリアでしょうと、ガウディの足跡をたどり、港近くの広場から地下鉄に乗って、サグラダファミリアからグエル公園に連れて行ってもらいました。あんな建築形態を考え出し、当時は変な人といわれたであろう天才ガウディ、すごい!の一言でした。
途中の坂道は本当にきつかったけれど(ちゃんと要所要所にエスカレーターが設置されていましたが上りはほとんど修理中で使えませんでした)グエル公園のまるでテーマパークのような建物やホールオブジェ、ベンチ、そして室内の家具にまでも凝りつくされたガウディの近代的かつユニークさに感動しました。
ラスパルマスに憲法9条の碑
次の寄港地はカナリア諸島のグラン・カナリア島にあるラス・パルマス、自然に恵まれ、またヨーロッパ風の小都市の町並みも美しく、暮らしている人達もなんとなくゆったりとしていてやさしい、住みやすそうなところです。
このラス・パルマスに次ぐ第二の都市テルデ市になんと「ヒロシマ・ナガサキ」広場と言うのがあってそこに「九条の碑」があるのです。日本からほど遠いアフリカ大陸の北西部のスペイン領のこの小さな島に、なぜ日本国憲法の碑があるのか、私も興味しんしんで半日オプショナルツアー「憲法九条の碑を尋ねて」に参加しました。
広場は町の中央ロータリーのそば、高校校舎の壁に面した大きな木に強い日差しからも守られる涼しげな、小さな公園でした。沖縄民家風のオブジェが建っていて、その壁面にスペイン風の白いタイルが嵌めこまれ、憲法九条がスペイン語に訳され青い字で書かれています。
一九九六年前市長のときに設置されたこの
公園と九条の碑は、スペインのNATO(北大西洋条約機構)加盟に反対し「非核地帯宣言」をしているテルデ市が「ヒロシマ・ナガサキに原爆が落とされた、その悲しい記憶をすべての人達に残したいから」と、市議会が決定し建てられたのだそうです。
「裏の高校や、近くの学校からも生徒を連れここで授業をする事もあるので、皆日本の憲法の事は良く知っています、特に九条については教科書にも載っていますよ」。
現市長がわざわざ私たちのために時間を空けて下さり、貴重なお話をして下さいました。
59回の船内弟子は59楽亭一門
今回の乗船でなんと、ショートクルーズも含めると一九回目の参加となったピースボートでの私の仕事は、船内で落語を楽しんで頂く事、寄港した国とのピースフェスティバルや交流会に出演する事、人権・平和などのテーマでの企画で他のゲストと絡んで講座を持つ事、洋上が長い航海では船内弟子を募り毎日特訓稽古をして一門の寄席を開催する事、そして玉すだれを教えることです。今回は今までで最高の千人近いお客様が乗船していただけに、玉すだれ百人、お弟子さん募集に50人と、呆れるほどの人数が参加してくれました。13期目になった今回のお弟子さん達と考えた亭号(例えば古今亭とか柳家などの部分の事)は59楽亭、キューバ寄港の前夜に行った一門会で小咄やリレー落語、大喜利を披露しましたが、宣伝の為に作る千社札デザインのポスターも満杯状態になりました。
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